【要約#31】「夜と霧」生きる意味とは?

歴史・哲学・宗教

言わずと知れた「夜と霧」です。

ナチス・ドイツ政権下で、生存率1%とも言われるアウシュビッツを含む複数の強制収容所に収容され、生還した、心理学者のヴィクトール・E・フランクルさんの著書です。

凄惨な収容所の話なので夜に読むのは勇気がいると思い、できるだけ昼間に読みました。

しかし、本書は収容所の凄惨さの報告を目的としている訳ではなく「壮大な地獄絵図は描かれない」(冒頭の書き出しより)

むしろ、心理学者である著者の観点から、「強制収容所の日常はごくふつうの被収容者の魂にどのように映ったのかを問おう」というものでした。

そんな凄みのある内容を消化しきれるものではありませんが、今、生きる私たちに転用可能ではっとさせられる学びがいくつもありました。

長くなるのでひとつだけ私なりに学びになったことを挙げますと、

驚いたのは、被収容者の精神が崩壊するのは、つきつめれば「個々人の自由な決断いかんにかかっていた」という事実です。

つまり、自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任に気付き、未来の目的に目を向けることができた人間が、極限状態でも精神を崩壊させずに済んだ、ということです。

これは、収容所に限った話ではないのではないでしょうか。

今、生命の危機を感じることが基本的にはない、という意味ではお気楽な状況にいる我々も、目的を持たずに生きれば、精神は病むでしょう。というか病んでますよね。

逆に、何かしらの生きる目的が持てれば、精神が歪むことはないのだと言えます。これは、強制収容所の人ですら、未来の目的を持つことで生き抜くことができたという事実を考えれば、否定できない主張です。

「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」

これが著者の答えでした。

現在ウクライナ問題に世界が揺れていますが、第二次世界大戦でロシアと敵対したドイツの歴史も知っておかなければなりませんので、

ナチス・ドイツのホロコーストによりアウシュビッツ収容所を含む強制収容所で600万人ものユダヤ人が犠牲になった歴史も、他の本も読んで勉強してみようと思います。

では、今日はこの辺で。

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